作品概要
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・タイトル:サウンド・オブ・メタル -聞こえるということ-
・原題:Sound of Metal
・公開:2020年
・制作国:アメリカ
・監督:ダリウス・マーダー
・キャスト:
リズ・アーメッド(Riz Ahmed)…ルーベン・ストーン
オリヴィア・クック(Olivia Cooke)…ルー
ポール・レイシー(Paul Raci)…ジョー
ローレン・リドロフ(Lauren Ridloff)…ダイアン
マチュー・アマルリック(Mathieu Amalric)…リチャード・バーガー
今回は2020年公開の『サウンド・オブ・メタル -聞こえるということ-』の感想を書いていきます。
あらすじ
ドラマーのルーベン・ストーンは恋人のルーと一緒にバンドを組んで活動していた。そんなある日、ルーベンは耳が聞こえにくくなっていることに気がついた。念のため専門医を受診したところ、ルーベンはいつ聴力を失ってもおかしくない状態にあることが判明した。ルーベンはすぐに治療を開始したが、病状は急速に悪化していった。絶望のあまり自暴自棄になるルーベンだったが、そんな彼を見かねた知人が聴覚障害者の自助グループを紹介してくれた。彼/彼女らとの交流を通して、ルーベンは徐々に生きる希望を見出していくのだった。
『サウンド・オブ・メタル -聞こえるということ-』Wikipediaより
キャスト
リズ・アーメッド(Riz Ahmed)…ルーベン・ストーン役
主人公のルーベン役を演じているのはリズ・アーメッド(Riz Ahmed)。
1982年12月1日生まれ、イングランド出身。
パキスタン移民の両親の元に生まれ、オックスフォード大学を卒業した後、ロンドン大学で演技を学ぶ。
2006年に映画デビュー。その後は『ナイトクローラー』(2014年)、『ジェイソン・ボーン』(2016年)、『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(2016年)などの作品に出演。
今作ではアカデミー主演男優賞にノミネートされた。
オリヴィア・クック(Olivia Cooke)…ルー役
ルーベンの恋人役を演じたのはオリヴィア・クック(Olivia Cooke)。
1993年12月27日生まれ、イングランド出身。
小さい頃からバレエや体操を習い、8歳頃からオールダム・シアター・ワークショップで演技を学ぶ。14歳で地元のタレント・エージェントに所属し、いくつかのCMに出演。以降、数々のテレビ番組に出演し、2014年には『呪い襲い殺す』で全米映画デビュー。2018年に出演した『レディ・プレイヤー1』ではヒロインを演じた。
関連
感想
※この記事はネタバレがあります。未視聴の方はご注意ください。
映画にも色んな種類があって『こんなこと映画でしか起きないだろう』という出来事が次々と起きる映画もあれば、最後まで大きな事件は起きずに静かに終わる映画もある。
この映画は、どちらかと言えば後者の方だ。
主人公の耳が聞こえなくなること以外は、特別な事件が起こるわけではない。
出てくる人間も現実の一般社会と同じく普通の人達ばかりで、際立った悪人も善人も出てこない。
突然耳が聞こえなくなる、という誰にでも起こり得る出来事をごく自然に描いた作品だ。
その自然さがこの映画の凄いところであり、怖いところでもある。
映像の撮り方はまるでドキュメンタリーのようであり、劇中ではBGMはほとんど流れない。
主人公の音の聞こえ方もそのまま表現されており、まるで自分も音の無い世界に引き込まれたようで息が詰まりそうだった。
ルーベンの取った行動について
ルーベンが手術を受けグループを去った行動は、私は悪いことだとは思わなかった。
恋人の単独活動をネットで観て感じた焦りと、コミュニティで時間を消費することに不安を感じて手術を急いだことを考えれば確かにルーベンの行動は心の静寂とは逆行している。
でも、手術をして雑音が耳に入ってくるようになったからこそ、ルーベンは最後に静寂の中で世界の美しさに気づくことができた。
最後のルーベンの表情からは、近い将来に彼が心の静寂を得られることを読み取れた気がした。
ルーとの関係について
恋人ルーとの関係も上手く描けていたと思う。
相手のお陰でドラッグから足を洗うことができたルーベンと、自傷行為を止めることができたルー。
その4年間に構築された信頼感と愛情が、役者の見事な演技力と細かい演出でしっかりと表現されていた。
父親の誕生日パーティーでルーが歌う曲の歌詞に二人の関係を重ね、ルーにとってプラスの存在ではないと悟ったルーベン。
別れをどちらかの口から言わせるのではなく、彼女の引っ掻き癖で別れを決断させる流れは見事だった。
ドラマーという設定について
主人公がこの映画で聴覚以外に失ったものが二つある。
恋人ルーとのバンド生活と、ドラマーとしての人生である。
今回はドラマーという設定が恋人ルーとの別れの動機付けに使われており、ドラムが叩けなくなったことへの苦悩はほとんど描かれていなかった。
音楽を本気でやっている人間であれば、聴覚を失うことがどれほどのものかは分かると思う。
むしろそこをメインにして一本の映画が作れるほど深いテーマだ。
本作を見る限り、主人公はそこまでドラムに命を懸けていたようには見えない。この程度の扱いであればドラマーの設定じゃなくても良かったんじゃないかなと思う。
(命を懸けたドラマーの話なら『セッション』を観た方が良い)
最後に
「ある日突然耳が聞こえなくなったり、目が見えなくなったらどうしよう」
昔からそんなことをたびたび考えてきた。
今のところは目も見えるし耳も聞こえているが、こういう映画を観ると普通に生活できていることのありがたみを実感させられる。
でも、この映画に出てきた聾者の人達はみんな普通に生活をし、耳が聞こえないということを受け容れていた。
最後に主人公が耳についていたマイクを外したのは、彼が音の無い世界を受け容れたということだろう。
視力や聴力を失ってもきっと人間は何かしらの生きる術を見つけて生きていくのだと思う。
そんな人間の強さにあらためて気づかされた作品だった。
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