『西の魔女が死んだ(2008)』イギリスの田舎が好きな人も必見!祖母との生活と別れを通じて主人公の成長を描く感動の物語

3.5
ドラマ
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作品概要

(C)2008「西の魔女が死んだ」製作委員会

タイトル:西の魔女が死んだ
原作梨木香歩『西の魔女が死んだ』
公開:2008年
制作国:日本
監督:長崎俊一
キャスト
 サチ・パーカー…おばあちゃん
 高橋真悠…まい
 りょう…ママ
 大森南朋…パパ
 木村祐一…ゲンジ
 高橋克実…郵便屋さん

今回は2008年公開の『西の魔女が死んだ』の感想を書いていきます。

原作は、梨木香歩のデビュー作である同タイトルの小説です。

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あらすじ

学校へ行くことが苦痛になってしまった中学生のまいは、母に勧められて祖母の家に身を寄せることに。母とまいが”西の魔女”と呼ぶイギリス人の祖母は、大自然に囲まれた一軒家で穏やかな生活を送っている。祖母との田舎暮らしは閉ざされたまいの心を少しずつ解きほぐしていく。

映画.comより引用

感想

※この記事はネタバレがあります。未視聴の方はご注意ください。


歳を取るごとに確実に涙腺が弱くなっている。

特に弱いのが「家族の絆」や「生と死」に関する作品。

今回の『西の魔女が死んだ』は、10年くらい前に原作を読んだことがある。

物語の内容はほとんど忘れており、おばあちゃんが死ぬということくらいしか分からない状態で視聴した。

いやー、泣きました。ボロボロ泣いてしまった。

私はおばあちゃん子というほどでもなかったけど、普通に祖母が好きだったし祖母の家に遊びに行った記憶もあったのでとても懐かしく感じた。

朝起きて居間に行くと優しい顔で祖母が「おはよう」と声を掛けてくれた記憶などが甦り、それだけで涙腺が崩壊した。

おばあちゃん役を演じるサチ・パーカーの表情が本当に優しい。

こんな日本語が話せる白人のおばあちゃん女優をどこで探してきたんだろう?と、映画鑑賞後にさっそく調べてみたらなんとシャーリー・マクレーンの娘だったとは!

しかも名付けは小森のおばちゃま!(昭和生まれなら分かる)

しかし、普段の写真を見たらゴリゴリのハリウッドセレブ風な感じで、改めて女優ってスゲー…と思いました。

良かったところ

おばあちゃんのライフスタイルが秀逸

(C)2008「西の魔女が死んだ」製作委員会

おばあちゃんはイギリス出身ということで、自宅はイギリスアンティークの世界を忠実に再現していた。

家具や小物は実際のアンティーク品を使っているとみられ、ちゃんと「使い古し感」が出ていて良かった。

また、敷地内に生えたベリーを使ったジャム作りや、庭のレタスを使ったサンドウィッチ作り、朝は庭の草花に水をやり、寝付けない夜にはクッキーを焼くなど、「丁寧な暮らし」を地で行くライフスタイルのおばあちゃん。

こんな老後っていいなぁと改めて思った。

人生の教訓を優しく教えてくれる

主人公のまいに、おばあちゃんはふとしたシーンで色んな助言をしてくれる。

それは押しつけがましくもなく説教地味てもおらず、いつも答えをまい自身が見つけられるように優しく教えてくれる。

ニワトリの死を見た日の夜、死について悲観的になるまいに死についておばあちゃんが優しく説明するシーンは名シーンだと思う。

「苦しむために体があるみたい」というまいに、「体があるから魂も色んな体験ができるのです」と説明するおばあちゃん。

魂の成長こそが魂の本質である、という言葉を聞いて魂は生きる幸せを求めているんだと改めて理解した時に涙が止まらなかった。

子供の目線から見た大人の弱さ

この作品は、まいの成長の物語である。

まいが成長する要素として、ひとつは優しくて寛容なおばあちゃんとの生活。

もう一つの要素は、まいを取り巻く大人たちの多面性に触れる機会を得たことである。

普段は感情をあまり見せない、まいの母が母親(まいのおばあちゃん)の死に触れ声を上げて泣く場面。

近所の粗暴で下品なゲンジがおばあちゃんの死で情を見せる場面。

仕事人間のまいの父が、おばあちゃんの家に訪れておじいちゃんのことが大好きだったと懐古する場面。

いつでも寛容だったおばあちゃんがゲンジを非難するまいに手を上げる場面。

大人が普段子供には見せない弱い部分を、まいの目線で上手く描いている点が良かった。

不可解だったところ

ゲンジの存在感

この映画の重要な登場人物として挙げられるのが、木村祐一が演じるゲンジである。

先述した人間の多面性を描く対象として、とても分かりやすい人物像ではある。

しかし、そのゲンジが登場するシーンとおばあちゃんが登場するシーンがどうも異質過ぎて、別の映画を観ているようだった。(大阪のミナミとイギリスの片田舎くらいの差)

まいの無垢な心が乱される場面がいくつか出てくるが、その描写がなかなか露骨すぎて酷い。(ゴミ捨て場のエロ本や鶏小屋の惨殺シーンなど)

あのシーンはもっと違う表現方法は無かったのだろうか。

煙草を吸うおばあちゃん

まいに手を上げてしまったおばあちゃんが、その日の夜に煙草を吸うシーン。

あれは唐突過ぎて思わず笑ってしまった。

もはやハードボイルドの世界ですやん。笑

おばあちゃんの世界観の舞台が大阪のミナミに変わってしまった一場面だった。

まいの表情について

まいがおばあちゃんの家を出て車に乗ったあと、振り返っておばあちゃんを見るシーンがある。

あのシーン、まいは涙一つこぼさず、悲しい顔もせず、能面のような顔でおばあちゃんを見ていたけど、あれはちょっとリアルじゃないと思った

おばあちゃんに叩かれておばあちゃんを軽蔑してあの表情だったのだとすれば、振り返っておばあちゃんを見たりなどしないはずである

まいの行動と表情が噛み合っていない不可解なシーンだった。

ただし、あの最初の別れのシーンが最後の死別のシーン、更にはあのメッセージを見つけるまでの溜めだとすれば、とんでもなく素晴らしい演出ではある。

(でも私がまいならどちらのシーンでもきっと号泣している)

最後に

ゲンジの存在やおばあちゃんの喫煙シーンなどに違和感はあったものの、それを差し引いても感動できる映画でした。

おばあちゃん子だった人もそうでもない人も、サチ・パーカーおばあちゃんの優しいあの笑顔と言葉にきっと癒されることでしょう。

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